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2007.12.27 満月~♪
24日の満月はとても大きくてとても近く、とてもきれいであやしくて吸い込まれそうだった。
そのせいか、久々に寝るのがもったいないような感覚で、眠いのにぐずぐず…グズグズ…o(__)o......zzzzzzzz(o- -)oムクッ いつもか…(o_ _)o.。o○
お月さまの好きな人は多く、私も例外ではないけれど・・・
とっても好きだったり、見るのも嫌だったり・・・何故だか郷愁を覚える対象のひとつ。

満月の日は太りやすいから断食するくらいがいいということだけど、ケーキまでしっかり食べるような食事をしてしまった。
クリスマスシーズンは仕方ないね(ノ_<。)
だけど、これから下弦の月のサイクルになり、身体が蓄えている物質を燃焼させ浄化が促進されると言うのに、いつもよりも食べている気がする・・・
意識と欲求がずれているのかバランスを崩している。

せっかくホメオパシーのモニター(?)をさせていただいているのに、ちっとも自分に敏感になれず・・・やれやれ、どうしよ( ̄-  ̄ )
恐れはちょっとずつではなく、一度に超えるのかも?

早稲田の予言カフェの話を2人の人から聞いていたので、穴八幡宮に行くついでに行ってみたら、なんとお休み。
やっぱり予言は必要ないのかな?
聞こうと思えばor聞く気になれば、予言は日常に散らばっているものでもある。
でも、「やっぱり~」と思えることでないと、人のこころには入っていかないのよね。
「初めに言葉ありき」だものね。
タロットカードを読むことをリーディング=readingというけれど、日本語の中に紛れてしまうとleading=先導、という言葉と同じになってしまう。などと考えた。

いま、いろいろな人に助けていただいて、やっぱりついてるなって思うことがある。
小さな希望通りに事が運ぶ。
小さなってとこがミソだと思うけど。
来年は面白い1年になるかな。( ̄ー ̄)v

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懐かしい人から葉書が届く。
季節柄、転居やご挨拶やらいろいろと・・・
こんなに不義理な私を忘れずにいてくれて、ほんとに・・・ありがとうございます。

長らくご無沙汰していた、タロット教室にもなんとか顔を出してきた。
そこで、もう会えないかな~と思っていた人とも顔を合わす。
いろいろあって・・・タロットの勉強どころではない人だったから・・・
でも、私ももう来ないかな~と他のメンバーには思われていたそうだ((^^;;) ・・・
時間が許せば毎回来たいのだけれど・・・ね(>へ<)

そう、新しいタロットに移っていることもあって、従来のタロットの勉強会からは足が遠ざかっているのも確か。
でも、何となく離れがたいのは、別に情に脆いわけではなく(最近ある人に言われてちょっと残ってる言葉)、ここのメンバーが純粋だからかもしれない。
スピリチュアル欲も超感覚欲も少なく、えらぶることもなく、金銭欲もなく・・・
ただ、純粋に面白いから好き、という範疇にいるからかもしれない。

そう、自分がニュートラルに戻れる場のひとつなのかもしれない。
そこで、表現されたものが返ってきて、納得して浄化になる。

そう、私は人の悩みでお金はいただけない。
その人の成長に繋がることでならお金をいただける。

ただ、悩みを聞いてほしいのか、
それとも、悩みの根幹を解決していきたいのか、ということ。

お金になるのは、ただ悩みを聞くだけの方法、かな?
ある人がそれを称して「霊感商法の手」と言ったが・・・あたらなくも遠からじ、かも。
でも、女性の場合は解決策を提示してもらうよりも、ただ悩みを聞いてほしいだけの人も多いのも事実。
どういう因果か、適材適所のところに惹かれあって、引き合っていくんだろうな~。

久しぶりに外苑前や表参道の銀杏並木を歩いた。
落ち葉の香りと音がなんと心地よいことか。
昔は・・・よくこの辺を歩き回っていたな~などと、ちょっとだけ感慨に耽ってみたりもするが、お店の様相は年々変わっていく。
何度か入ったことのあるお店は、例え常連さんでなくっても、味が変わったな~と思っても、やっぱりほっとする。
元気でがんばってくれていて、「ありがとうございます(。-_-。)/」とこころの中で呟いたりする。

隣の席の会話が耳に入る。
70代の会長が孫のように若い秘書にいたずらに言う言葉・・・「信じられるのは君だけですよ」
小難しい禅問答のような返事にならない若い女性の応答は、その会長にとってはしばしの安らぎでもあるのだろう。

人というものは面白いもので、その時々で変わっていく。
感情も言葉もなまもので、流動的で、留まれない。

関わってくる人が多くなればなるほど、真実がわからなくなる時がある。
信じるべき人は誰で、信じるべきでない人は誰なのか・・・
そういうドツボ思考に嵌る時は、往々にして自分を信じられなくなっている時だ。
自分の考えを、自分の存在を信じられなくなっているとき。
そこから、そういう関係から、依存が生まれる。

人の思いが信じらず不安になるときは、自分自身が信じられないとき。
自分自身を信じられているときは、人を信じるとか信じないとかそういう次元にはいないだろう。
そうなるにこしたことはないのだが・・・なかなかどうして難しい、が、
いま自分がどちらにいるか、それを把握できるだけでもだいぶ違ってくるはずなのだ。

真実は明らかにしようと探るよりも、ただ見つめているだけで見えてくるものだろうから。



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