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2006.02.26 花粉症対策。
今年は寒かった影響で花粉が例年の10分の1だという予想。
でも、花粉症の人にとっては10分の1だろうが、2倍だろうが、まったく関係なく辛いのさ! ね!

かくいう私も、15年(?)ちょっと前はバリバリの花粉症でした。
バスに乗っていると周りの人が気にして振り返るのは、日常茶飯事。
ハンカチを差し出されたこともありますわな (- .-)ノ”そうじゃないって ! 持ってるって! 

花粉症はコップの水でよく例えられ、許容量がいっぱいになると溢れてしまって症状が出ると言われるけれど、なんらかのストレスが影響していることも否めませんね。
一般的には時間と責任に追われている人は花粉症の症状をもっているといわれます。
それに、アレルギー体質であるかどうかも大きい要因のひとつ。

アレルギー体質の私は、当然のことながら鼻炎持ちで、花粉症が現代病として幅広く認知される前に、もうすでにしっかりとお付き合いしておりましたわん。

会社勤めのころは、時間と責任に追われ、知らず知らずのうちにストレスになったいたのでしょう。
退社したら、徐々によくなっていきました、とさ。(^◇^;)> イヤァ~

でも、そんなに簡単に仕事の状況をどうこうできるわけはなく、この時期だけ花粉のない沖縄にいくなんて夢のまた夢という人が多いはず。
いかに自分の身体を騙し騙し、この時期を乗り切るかに掛かっているのです。
早めに注射をしたり、お茶を飲んだり、毎晩ヨーグルトを食べたりね。
ポジティブ・シンキングではないけれど、「これが自分には効く!」と信じて思い込んで、決めたことを毎日実践していくと、かなりよくなること間違いなしです。
私は最近「鼻うがい」が気になっているのですが・・・痛くないって謳ってるし・・・でも怖い\( ><)シ

最近では花粉症対策の研究も進んできているそうで、5年後には特効薬?できるみたい。
とにかく花粉症で悩む人はいなくなるそうだだから、期待してお待ちしてましょ♪


お友達のブログから花粉症に有効だと言われている精油を教わりました。
以下添付しておきますので、ご参考にまで。
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トリノオリンピック真っ最中♪
未だにメダルがないとか何とか言ってるけれど、どうでもいいじゃんかそんなこと。
みんながんばってるさ~!!(って、リアルタイムで見てないのに偉そうにf(^_^; スンマセン)

今回の冬季オリンピックには50歳以上の方が3人もいるの、知ってましたか?
勿論日本人ではないですが、男性2名、女性1名。
競技は・・・カーリングの男性が54歳で、何かの刑罰のようなリュージュが・・・( ̄~ ̄;)??
( ´△`) あぁ・・・記憶力が・・・かすんでく~~~~~(/ ̄▽)/

でも、しぶとく(+_;)
そのうち52歳の男性は、4年前に息子と一緒にオリンピックに初参加したそうです。
競技を始めてからまだ10年足らず。
でも、息子のほうが競技の過酷さに根を上げ、もう止めてしまったそうで、今期はパパのみ参加。
日本でも、41歳と年齢がクローズアップされている越さんと同じ競技・・・なんだっけ? (*^▽^*)ゞ
あ、ボブスレーだ。ボブスレー?・・・違った、スケルトンだ! 顔面が氷につきそうで怖いやつ。

だけど、落ちがあるのね。
この男性の国(忘れたm(;∇;)m ゴメンネ)では、この競技人口が2名・・・ということは、国内で競わなくてもオリンピックに参加できるそうだ~。

日本の選手たちが、子ども達に夢を与えるオリンピック。
このハイ年齢の方々も、中高年の人たちに夢を与えてくれます。(私、えへΣ(^▽^;)
好きなことを一生懸命がんばっているというのが基本なんだろうけれど、その結果、誰かに夢を与えることが出来る仕事なんて・・・なんて素敵な仕事なのでしょう!

でも、本来仕事ってそういうもの!
どんな仕事も、そういうもの!
温かくて美味しいご飯は、それだけで幸せになれるもの。
それを料理した人、食材を作った人、育てた人、流通させてくれた人、
いろんなひとの仕事のおかげで、明日の活力へ、夢へと繋がるのだものね。
夢は必ずしも叶うとは限らないけれど、育てていきたいものには違いない。

自分が誰かの役にたっているってこと、ついつい忘れてしまうこともあるけれど、どんな仕事であろうと、どんな状態であろうと、それがなくなると困る人もきっといるってこと。
ちょっと分りにくいね・・・( ̄~ ̄;)ウーン・・・
自分がどんなに自分のことや仕事を卑下してしまっていたとしても、それを通して何かをもらう人(与えられる人)がいるってこと。
だから、例え面と向かって感謝されなくても、そこにいるだけでいいんだよってこと!

そうそう、冬季オリンピックの競技・・・過酷なものが多いでしょ(*б_б)ん?
むか~し、むかしの刑罰から来てるという話がありますわな。
後ろ手にロープで縛って、板に乗せて、上から・・・ε=ε=(((;><)ヒエー!!
確証は取っていないので、悪しからず~(m~-~)
「ただ好きな仕事をしたいだけなのに!」とここ最近の姐さんは、苦しそうでした。
別に多くを望んでいるわけではないけれど、律儀で真面目で正統派の姐さんは、だんだんと「思い通りにならないこと」が多くなっていたのです。
そんなこんなで昨日、方位避けもあって、姐さんは護摩焚きをしてもらいに行ってきました(私はお留守番)。

護摩焚きって、厄年の時にすればいいものかと思ってました。(゜▽゜)\(--;)無知!
でも、人間は生きていくうちにどうしても魂の汚れる出来事が積み重なってしまい、それを払うために1年に1回、護摩焚きをするといいのだそうです。
きっと、厄年のころはその汚れが一番溜まり、膿となって噴出して病気になったり、よくない出来事として返ってきたりするから、普段信心深くない人も護摩焚きをしてほしいってことなのかもしれません(根拠なしの自説ですf(^_^; )。

「魂が汚れる」ってことは煩悩が溜まってるってこと。
煩悩とは「心身を煩わせ、悩ませて落ち着いた境地に至ることを妨げる心の汚れ」で、一般的にはサンスクリット語のクレーシャ(染める・汚す)から派生したとされています。

煩悩の根源は「三毒(さんどく)」。
「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」が三毒の正体。
「貪欲・とんよく」=(欲深きこと・物欲)→努力せずに欲しがる。
「瞋恚・しんに」=(逆らうものに対する怒り、憎み)→真理を見抜く目を持たない。
「愚痴・ぐち」=(おろかさ・物事を正しく認識したり判断したりできないこと)→薄い知識で善良な人を惑わす。。。という意味だそうです。
この考え方はお釈迦様の時代からのものですから、仏教と名乗っている宗派には全て共通するとのことです。

この3つの基本を改善しようと努力するだけで「煩悩」は減っていくのですが、それがなかなかできないゆえに、人は人間関係で悩んだり、戦争を繰り返したり、身近な煩悩に苦しんでしまうのだそうです。

知ってました? 木魚ってなんのためにあるか?
お経を上げている最中に気持ちよく眠ってしまった人を起こすために叩くそうですよ。(=^^=)
お経ってね~、ほんとに眠いから。何度カクッとすることか・・・ (*^▽^*)ゞ

私も近々、煩悩を減らすために護摩焚き修行にいかねばなりませぬ ~~~(m~-~)m
そこにある観音様はとても素晴らしいらしく、今度私も連れて行ってくれるとのこと。楽しみ~o(*^▽^*)o~♪
観音様は見るだけで、思い起こすだけで浄化作用があるそうです。


***真言宗・護摩焚き覚書***
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犬童一心監督×渡辺あや脚本コンビの第二弾『メゾン・ド・ヒミコ』。
前作『ジョゼと虎と魚たち』も、とってもよかった。
ジョゼ役池脇千鶴が、ひとりご飯を作りながら最後に微笑むシーンがとても残っている。
社会的弱者を主人公にしている彼らの作品は、とても優しくとてもせつなく…痛い。

おまけに配役の妙!
卑弥呼役の田中泯は死に逝く役でも、相変わらずエキゾチックで、射るような存在感は狂気をかもし出す。独特の雰囲気は60を過ぎているとはとても思えない。
その若い恋人役のオダギリジョーは、破滅的で、さらに排他的な魅力に磨きをかける。
そして、ブスメイクを施された柴崎コウは、歩き方まで演出してた。
そしてなんとも言えない音楽は映画音楽13年ぶり(?)の細野晴臣氏。
久々に仕事してくれました。ヾ(>▽<)ゞ ウレシイ♪

舞台は海の近くの“メゾン・ド・ヒミコ”・・・ゲイのための老人ホーム。
賑やかで、哀しくて、温かな場所。
理解しあえるはずのないゲイの父と娘。愛しあえるはずのないゲイの男と女・・・そんな彼らの心情を通して、生と死、愛と絆、欲望と希望と不安が不可思議な旋律を奏でる。
ファンタジックな世界観と普遍的でリアルな人間関係は、ときに残酷。

公式サイトのイントロダクションの言葉は、この映画のレビューそのもの。
 ・・・人はみんな孤独なもの。そして誰かといることはどこまでも優しく温かい。
   癌に冒されている父親とその恋人である若い男、そしてゲイである父を嫌う娘。
   一見、衝撃的ともいえる設定に挑戦している本作だが、
   実は誰にでもあるごく普遍的なことを描いている。 
   人と人との間にはどうにもならない“壁”があること。
   そして、その壁の向こう側の人をふと好きになってしまう瞬間があるということ。
   どうしてもその人を感じたいという衝動を抑えられない気持ち。
   だからこそ、人間は可笑しくていとおしい。・・・てね。


何ものにも束縛されない本能のままの自由・・・
でもそれは限られた空間でこそ安心して振舞えるもの。
一歩外に出れば、冷徹なまでの現実を突きつけられる。
こころ弾むファンタジーの世界の裏には、容赦の無いリアリティが貼り付いている。現実と虚構。
この世は表裏一体。逆もまた真なり。全てパラドックスになっている。
だからこそ、人ははしゃぐ。人は踊る。人は歌う。
それは忘れるためでも、誤魔化すためでもなく・・・前を向いて、明日を歩き出すために。
だから、人はやさしさと痛みを同居させることができる。
孤独を知っているから、人にやさしく出来る。
痛みを知っているから、笑うことが出来る。

だけど、人と人との間にはどうにもならない“壁”があるという普遍的な事実。
そっと抱きしめながら、ののしるような・・・究極の人間愛。
どうしようもない、逃げるに逃げれない自分という現実。
嫌悪が愛に変わる瞬間、憎悪が絆に変わる瞬間、偏見が憧れに変わる瞬間、そんな毎日に溢れているたくさんの愛すべき大事な瞬間。
だけど、瞬間は継続するとは限らない。
理解しあうには時間が足りない。
どうやって折り合いをつけましょうか・・・
どうやってつけていますか・・・

愛がないと、絆がないと、希望がないと生きていけないけれど、それはいつも安定してそこにあるとは限らない。
そんな人たちの微妙なこころのひだを、介護や寄付、お盆という季節行事もからめ、リリカルに綴っている。
何故か懐かしさを感じる映画だった。

リアルタイムに見れなかった「大停電の夜に」を見てきた。
カラフルな闇…黒は一色ではなく、いろいろな黒があるという言葉に誘われ、絶対に映画館でないとその醍醐味は味わえないと思っていたから。
フランスで活躍中の、現地では闇を撮らせたら右に出るものはいないと言われているカメラマン、永田鉄男は勿論期待を裏切らず、満足だった。
そして何よりも照明が素敵(*--*)

東京がいちばん輝く聖なる夜。すべての光が消えた。
嘘と夢の入り混じる日常。眩しすぎる東京の夜。
全ての光が消えた時、「本当に見ているもの」「本当に見たいもの」が徐々に現れていく。
そして観る側には「本当のところが見えていますか?」と問いかける。それも、単刀直入ではなく、キャンドルの灯りのごとく、じんわりと。

東京の一番下のあるような路地裏でキャンドルショップを営む役どころの、田畑智子のピュアさがいい。
「あなたに何かいいことが訪れますように」とキャンドルに火を灯すシーンの度に、観る側のこころにも(たぶん抵抗無く)灯が灯る。
「こんな夜だから…」抑えていた想いが、あふれ出る。
「こんな夜だから…」初めてあった人に、大事な想いを話す気になったりする。
光が消え、キャンドルに火を灯し、自分のこころにそっと手を置いた時、人は大事なことほど言い出せないことに気づく。
自分のことを知って欲しい、こころを伝えたいという本能を抑えていたことに。

東京大停電という題材は、非日常的でありながら、昨今、ニュースを賑わす災害を見ていると、実は身近に起こりうるかもしれないという観もぬぐえない。
現にそういう噂もでていたりする。
どうか手遅れにならないように・・・キャンドルの灯りの夜を。


・・・「大停電の夜に」覚書・・・
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頭がウニウニしているときは、なるべく外に出ることにしよう。
そうでないと誰かに当たるかも… いや、もう当たっていて傷つけてしまったかも…α~ (ー.ー") ン~、まぁ、しゃ~ないね。お互いさまかも。

そう思って、迷っていた瞑想会に行ったのだけれど・・・やってなかった。ヽ(~~~ )ノ ハテ?
まぁ、誰でも自由にって書いてあったから、予約もしなかったのだけれど。
それに知ってる人がいるわけでもないから、ちょっと様子を見てイヤ~な感じがしたら、そ知らぬ顔して帰ってきたかったし。
あはは、そんな優柔不断に罰が当たったのかしらん。
この派には行くなってことかしらん。
久々に行ったから、自由が丘の乗り換えホームを間違えてしまったわん。

相変わらず通勤電車に乗っている人は固い表情をしている人が多く…
こんな早い時間…って夜の7時ごろだけど、そんな時間に家に帰るなんてそれだけで幸せなのになぁ~と…今の自分になったから思えるのだ。

もうひとつ、瞑想会を見つけた。それも歩いていけるとこ。近すぎ( ̄~ ̄;)ウーン・・・
ライティング・セラピーと瞑想をミックスさせて云々ってことらしいのだけれど・・・
ライティング・セラピーって、ある意味ブログを書いている人は皆やっていることかもしれないね。
まぁ、百聞は一見にしかず。一度は覗いてみようかな(* ̄ー ̄)にぃぃぃ♪
2006.02.08 セアロの言葉

よくきたね


きみは新しいドアの前にきている
そしてその扉はもう開いている

きみが入るのも自由
そしてそこにとどまるのも自由だ

人間は何千年とかけて
あるものは神を信じ
あるものは自分がなんであるかを求め
長いたびをしてきた

この豊かな地球に生まれた我々は
神が何を望んでいるのか
そして自分ははたして何であるか
もうすでに分かり始めている

さぁ君たち
君たちがこの地球と自分と全てのものを
君の楽しみとし
エゴと執着をなくしたとき
この新しい扉の中の住人に
なりえるだろう

そのときもう一度会おう


「セアロ108の言葉」より



セアロは日本人の僧侶です。

定住する寺を持たず、自らの道“慈悲の旅”を歩むミャンマーの上座仏教僧侶。
愛とは…、正しい道とは…、生きるとは何か…ということをひとりひとりと関わり伝え続けている。
アメリカ、日本などではこころと身体の癒し、精神性の向上を促し、ミャンマーやカンボジアでは物資支援、寄付を行っている。

恥ずかしながら、この本を読むまで、セアロのことは知りませんでした。
いい言葉が一杯詰まっています。

ちょっと行き詰まって、自分の真理を見失いそうになるとき…私は言葉に頼るみたいです。
「手考足思」
                河井寛次郎作

私は木の中にゐる石の中にゐる、鉄や真鍮の中にもゐる、
人の中にもゐる。
一度も見た事のない私が沢山ゐる。
始終こんな私は出してくれとせがむ。
私はそれを掘り出し度い。出してやり度い。
私は今自分で作らうが人が作らうが
    そんな事はどうでもよい。
新しからうが古からうが西で出来たものでも
    東で出来たものでも、そんな事はどうでもよい、
すきなものの中には必ず私はゐる。

私は習慣から身をねじる、未だ見ぬ私が見度いから。

私は私を形でしやべる、土でしやべる、火でしやべる、
木や石や鉄などでもしやべる。
形はじつとしてゐる唄、
    飛んでゐながらじつとしてゐる鳥、
さういふ私をしやべり度い。
こんなおしやべりがあなたに通ずるならば
    それはそのままあなたのものだ。
その時私はあなたに私の席をゆづる。
あなたの中の私、私の中のあなた。

私はどんなものの中にもゐる
立ち止つてその声をきく
こんなものの中にもゐたのか
あんなものの中にもゐたのか

あなたは私のしたい事をしてくれた、
あなたはあなたでありながら、
    それでそのまま私であつた
あなたのこさへたものを、
    私がしたと言つたならあなたは怒るかも知れぬ。
でも私のしたい事を
    あなたではたされたのだから仕方がない。

あなたは一体誰ですか
さういふ私も誰でしやう
道ですれちがったあなたと私

あれはあれで、あれ
これはこれで、これ
言葉なんかはしぼりかす

あれは何ですか、あれはあれです。
    あなたのあれです。あれはかうだと言つたなら
それは私のものであなたのものではなくなる。

過去が咲いてゐる今
未来の蕾で一杯な今

              (『六十年前の今』東峰書房)
(『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』(河井寛次郎、講談社文芸文庫/現代仮名使い版)


ルドルフ・シュタイナーは、真実なる思考が四肢にまで浸透し世界に創造の芽を吹くことを願い、晩年のある講演ではそれを「私たちは、手で考え、足で思うような境地に至るまで努カを続けてゆかねばならない。」と表現したそうだ。
梶井寛次郎は「手霊足魂」という力強い文字の書を残している。
畑違いに見える両者から、同じような言葉がでてくるのが感慨深い。
そしてそれは、いつの日か私の言葉となっておきたい。

頭…理論を脇に置いておきたいのに、その先が行き詰ってしまう時、「手考足思」を胆に命じたい。
2006.02.03 「一陽来復」
今日は節分。豆まきをしますか?

私の居候先は住宅街にあるのに、毎年豆まきの声は聞こえません。
確かに子どもといえる年頃の子がいる家は少ないのだけれど・・・ねぇ( ̄~ ̄;)
やろうよ! 豆まき! 照れるけどさ~。
そんなこんなで、姐さんと2人、小さな声で豆まきをします(^^ゞ

節分の日にはもうひとつ大事な行事があります。
といっても、去年からですが(^◇^;)> イヤァ~

東京・早稲田にある穴八幡宮社でわけていただく「一陽来復」のお守りを、節分の日の夜中に恵方の方角の壁に貼り付ける、という行事。
節分の他、冬至と大晦日でもいいのですが、この時間と方角が重要らしいのです。

「一陽来復」の御守をわけている穴八幡宮社。その左には、
「一陽来福」の御守をわけている放生寺…
どう見ても、かつてはひとつの神社だったような・・・
放生寺の方には「こちらの方が正統な云々…」と書いてある、大きな看板のようなものを正面に出していて、いろいろなご利益があると謳っています。
増築して立派になっているので、なんかね・・・よくわかりません。
個人病院の医者が専門は内科なのに研修で小児科も○○科もやったから看板に付け足してる…という話を思い出してしまいましたわん。


「一陽来復」とは、陰が極まれば陽に転じるという易の言葉。
春に切り替わる冬至の日から流れを陽に変えよう、ということにります。
一方「一陽来福」は、観音経の結びにある『福聚海無量』(海のごとく無量の福が集まる)という言葉。
一字しか違わないのだが、意味合いはかなり変わってくるのです。

『融通を通す』といわれる御守も流鏑馬からきています。
早稲田は流鏑馬で有名な土地柄。
金銀の融通、蟲(かんの虫)通しの御守。
しいては、身体の血の流れ、気の流れ、思いの流れ…に繋がっていそうです。

どちらにせよ、冬至の日は2時間待ちは当たり前。
冬至から節分までの間、お守りは毎日わけていただけるのですけれどね。
でも、行くのならどちらか片方だけにしておいた方がいいですよね。
「2兎を追うもの1兎も得ず」ってね。

今日の夜…忘れないようにしないと。。。 ( ^ - ^")/


・・・早稲田「穴八幡宮社」覚書・・・
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今日電車に乗ったら、こんな広告に目が留まった。

ふわふわのセーターも
キラキラのアクセサリーも欲しいけど
一番欲しいのは
ピカピカの英語力だったりする。


英会話スクールの電車壁面広告だけど、なかなかいいコピーだな・・・なんて思ってしまった。

一番欲しかったものを手に入れても、人はさらにその上を欲しがり、すぐに物足りなさを覚える。
それが消耗品だったり、棚ボタ的に労せずして手に入ってしまったものだったりすれば、なおのこと。

もし、欲しかった高いブランド品を手に入れたにもかかわらず満足できないのなら、その品物そのものが欲しかったのではなく、そのブランドに似合うステータスがほんとは欲しかったから。
もし、恋愛をして結婚したのにもかかわらず、不満が募り歯車が狂っていくと感じるのなら、自分の理想の結婚観とずれていってしまい、それが受け入れられない、変化についていけないということが考えられる。
もし、出世競争で地位を掴んだにもかかわらず・・・
もし、好きな仕事をしているのにもかかわらず・・・
もし、・・・

だから、物質的な表面上のことだけ追いかけてしまうと切がない。
ときに欲望は限界を忘れる。
それを得ることによって、いかに精神的に満足できるのかどうかを考えるのが、いいのではないかと思う。
物質と精神は、出来るだけバランスが取れているのが望ましいもの。


いま、一番欲しいものはなんですか?

それが手に入ったら、どうなると思いますか?

そして、それが手に入ったら、次は何が欲しいですか?

それが欲しいと思う理由は、どこから来ているのでしょう?



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